山崎 幹久(もとひさ)

山崎薬局のホームページを見て頂き、まことにありがとうございます。

私はこのホームページの管理人で、店頭では漢方相談をさせて頂いております山崎 幹久(もとひさ)です。

 

まずこの後の文ですが、とても長いです。

お時間に余裕がある方、私のことに興味がある方以外はスルーして頂いて大丈夫な内容です。

必要なのは店頭では私が漢方相談していますよ、という情報だけです。

それで十分な方はこの後の内容はスルーして下さい。

急ぎの方や、今はちょっとという方、いずれよろしく読破お願い致します。


 

それでも読みたいという方、ありがとうございます。

それでは本気で長くなりますが、以下お付き合い下さい。

 

まず私の経歴を少しお話させて下さい。

 

私は日本大学薬学部を卒業して薬剤師の免許を取得した後、まず製薬メーカーでMR(薬の営業ですね)をしました。

当時はバブルの残り火がかすかにあるくらいの頃で、東京都内を担当して毎日病院や診療所、卸さんを回り、たくさんの医師に面会しては昼間は医薬品の売り込み、夜は単独あるいは複数のメーカーで接待。

 楽しくなかったかといえばそりゃ楽しかったのですが、医師が患者さんに利用する薬の選択に薬効以外にも金銭的なものが絡むということを知って結構ショックを受けたものでした。

当時は西洋医学的な医師の治療を見ていて「咳止めでも熱冷ましでも、服用して一定の効果が得られるなら何使っても一緒でしょ?」と言われているように見えました。

 

4年ほどメーカーにいて色々貴重な経験もさせて頂きましたが、機会があって次は調剤薬局で処方箋応需の薬剤師をする事になりました。

自律神経系の診療所の門前薬局で、ここでは朝は8時前から夜はほぼ毎日1時過ぎ(夜中の、です)薬局にいた日が2年ほど続きました。

その日の仕事が片付く頃には(実際片付いていないのですが)終電もなくなり、深夜タクシーでほぼ毎日帰っていました。

 

無知というのは恐ろしいですね。

はじめての薬局がそこだったので「薬局というものはこういう所なんだ」と自分で刷り込みしてしまっていて、業務時間や仕事量に対する疑問はむしろ自分が慣れていない、仕事が遅いからそうなるのだと当時は思い込んでいました。

もちろん当時仕事が遅かったというのは間違いありません。

が、それだけではなかったという事にあとで気が付きます。

この頃はどこまで行っても片付かない仕事があるということや、逆に自分の限界がどの辺なのか、というものを知る良い期間だったとも思います。

 

ここでは調剤全般と薬事法に関連すること、それから在宅医療や薬局製剤の作成・管理など調剤薬局で知っておくべき事は片っ端から叩き込まれました。

今では当たり前にある薬局マニュアルが当時法令もないうちからこの薬局にはありました。

処方箋のお客様におくすりを渡す際に、向き合って机に座り、薬の確認だけではなく患者さんの身辺状況や家族構成なども話ししたり、24時間電話対応なども当時行っていました。

現在では当たり前ですが、当時はそこまでやる薬局は他にはなく随分先進的な取り組みを行っていた薬局でした。

この薬局では”どんな事に注意していないととんでもない失敗になるのか”という事も身をもって体験しました。

もちろん人に対してでなく、業務にとんでもない滞りが生まれるという意味です。

仕事の量がとんでもないので、わずかでも滞ると周囲(お客様よりむしろ同じ薬局の店員達)から呪い殺されんばかりの殺気が突き刺さります。

在宅医療の関係で朝の7時には薬局に来ないといけないのに、なぜ仕事が終わった夜中の2時に家に帰らなくてはいけないのかと結構真剣に不満でした。

店ですぐ寝てしまった方が、家に帰ってから寝るより長く休めるのに!

もう感覚が麻痺していましたね。

 

同じグループ薬局の中で派遣薬剤師もさせて頂きましたが、派遣で行ってびっくりしたのは夕方17:00には帰れるということです。

昨日まで夜中2:00くらいに帰宅していたのが、夕方のゴールデン番組がやっている時間には家にいて、逆に罪悪感を感じていたことがあります。

面白いもので背徳感を感じながら夏の夕方、まだ日が出ているうちに飲むビールがとんでもなくうまかったことも鮮明に覚えています。

これは今でも機会があれば主に週末やっていますが当時の旨さには追いつきません。

また自分の仕事ペースが遅いから当時の薬局で仕事が片付かないのかと考えていましたが、派遣で出た先では誰よりも早く動けていました。

やはり入った薬局の仕事量がおかしかったという事にもこの時に気づきました。

いずれにしてもここは超ブラックな薬局ではありましたが、薬局経営の”いろは”をとてもたくさん知ることができた場所でもあります。

 

29歳のときに上記の薬局で仕事をしながら、実家の山崎薬局の手伝いもはじめました。

ここでカルチャーショックを受けました。

病院で専門的な治療を受けに行くような症状を持ったお客様が、普通に山崎薬局の店頭に症状の相談に来ています。

両親がその対応を行い、話を聞いていると私が見てきた中では病院でもなかなか改善しなかったお客様の体調が結構急激に良くなっています。

その後も再発もなく、元気で過ごせているという方もたくさん薬局に来ていました。

当時、製薬メーカーと調剤薬局で西洋医学にどっぷりハマっていた私には、何が起きているのかついていけませんでした。

当時メインで相談者だった父に話を聞くと「漢方と免疫を利用して病気を直し、その後は元気な体でいられるようにお手伝いしているのだ」と言っています。

病気は薬で治すもの、と思っていた私には衝撃…というか何を言っているのか当時は理解できていませんでした。

しかし製薬メーカーにいた時に感じた、西洋医の似たような医薬品を金銭で選ぶ方法ではなく、

調剤薬局にいた時に見た、症状も変わらないのにずっと同じ薬を飲ませてお茶を濁す方法でもなく、

しっかりお話を伺って、その方にあったおくすりを選び、結果として症状が改善できて健康を取り戻したとお客様に喜んで頂いている姿は、私が理想としていた医療が行われているように感じました。

 

ここまで長くなってしまいましたが、そういう方法があるのだということを知って、かつそれが相談薬局という環境の中で実現できるということを知って、当時は医薬分業の絶頂期だったと思いますが店頭で患者さんの話ししている事を店頭で解決できる方法を模索することに思いっきり走りました。

大きな本屋さんで免疫や漢方の本を買い漁り、全くOTC知識がないなりに薬業界の色々な勉強会に参加して、結果全く理解できないまま帰ってきたり…

 

いろいろ省きますが、この頃の経験がきっかけで山崎薬局に戻って一年経過した30歳の時に、ある漢方メーカーさん(ツ○ラやク○○エではありません)の勧めで一度仕事をやめてしっかり中医学の基礎を学びました。

 

勉強期間は短かったですが、私の人生のまさにターニングポイントだったと思います。

わけがわからないと思っていた漢方薬に、西洋医学も真っ青の理論がきちんとあった事、人の不調の成り立ちやそれを改善する漢方薬の成り立ち。

果ては病気にならないための、体質の違いによる養生法からすでに病気になってしまった方に対する対処法と再病阻止の方法。

薬局の店頭でお客様の相談からどうしたらその方に合うお薬の選定や養生法の話ができるのか。

現在店頭で私が話をする内容の基礎はこの時に全て手に入れました。

 

もちろん、医療は日進月歩で薬局の店頭相談も同じです。

現在も毎月複数の勉強会に参加して新しく開発・販売される漢方薬の知識を仕入れますし、免疫や病気の知識も仕入れます。

それによりまたたくさんの方の症状が改善されていきます。

 

 

当時の経験から言えば自律神経のトラブルが私の得意分野でしたが、敢えて何かを得意とする必要も当時は感じていませんでした。

中医学の理論や疾患と免疫、ミネラルの知識があればほぼどんな症状でも店頭対応できました。 

 

でもその中で不妊・子宝の相談を専門にした薬局に傾いたのは、自分の子供が産まれた時のとてつもない感動を、これから子供を希望している皆さん、特にお父さんになる人にも経験して欲しいと感じたからです。

 

出産に立ち会った時の感動と衝撃はいつまでも色あせません。

自分の中にこんなに濃い感情があったのかとびっくりするほどです。

 

漢方を勉強始めた当時は自分が将来子宝相談を専門にするとは考えてもいませんでした。

 

嫌な女性もいらっしゃるかもしれませんが、子供が生まれる瞬間にはご主人にもぜひ立会をしてもらって下さい。

男性は子供が生まれるその瞬間まで父親の自覚が曖昧です。

赤ちゃんが産道から顔を出して、一声泣いた声を聞いた瞬間に一気に自覚、父性が生まれます。

逆にこの経験がないといつまでも父親も子共のままかもしれません。

私自身がそうだったので間違いありません。

 

その感動を、子宝を得るお手伝いを当店でもさせて頂ければと思ったきっかけです。

薬局に子宝相談に来られるお客様に赤ちゃんができて、その体験をお手伝いできれば私にとってこれに勝るものはありません。

今までの積み重ねも全てそのためのものと思っています。

不妊でお悩みの方、婦人科経疾患などの絡みでなかなか思ったように子作りが進展しないという方。

不妊・婦人科疾患に関しての漢方相談の腕は私が関東一と自負しています。 

 

不妊治療や子宝の事でお悩みなら、是非一度、私に相談下さい。

よろしくお願いいたします。